(旧 たびかけ記事)

(京都|六角堂)逸話多く残る六角堂

聖徳太子ゆかりのお寺である六角堂。寺号は紫雲山頂法寺

本尊は如意輪観音

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聖徳太子が、前世に唐土で信仰していた像として、淡路島の岩屋に流れ着き、それから大切にしていた護持仏(念持仏?)を木にかけて沐浴をした後、護持仏を手に取ろうとしてもなぜか木から離れない。

 

その夜、夢に仏が現れ、「お前の守り本尊となってから、すでに7世が過ぎた。これからは、この場所にとどまって衆生の救済にあたりたい」とおっしゃった。

そこで太子は、その場所に六角のお堂を建て護持仏を安置したという。

六角堂のはじまりである。

 

太子堂というお堂には、太子が彫ったとされる「二歳像」がまつられている。

 

 

 

 

六角堂は「いけばな」発祥の地でもある。

唐では仏前に花を供えてるという話をきき、聖徳太子は六角堂の坊に花を供えるように言い渡し、それを始めたのがいけばなの発祥だとか。

そして、それが小野妹子だったとか、聖徳太子が沐浴した池のそばの坊ということで「池坊」だとか、そんな話をどこかで聞いたことがある。(記憶違いがあったらごめんなさい)

 

また六角堂は、親鸞とも関係が深いところである。

親鸞は祈願のため100日の間、六角堂に籠った。

その95日目の明け方、夢に四句の偈文(げもん)を得た。

 

行者宿報設女犯

我成玉女身被犯

一生之間能荘厳

臨終引導生極楽

 

「因縁により女犯があれば、私が玉女となって引き受けよう。

一生を立派に飾り、臨終には引き導いて極楽に生まれるだろう。」

 

なんとなく訳してみたが、こんな感じだろうか。

これにより親鸞は、当時戒律で禁止されていたが、をめとったという。

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↑親鸞の像

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↑ 親鸞堂

 

 

地ずり柳というものもある。

平安時代、嵯峨天皇に「六角堂の柳の下をみよ」という夢のお告げがあった。

さて、柳の下へ行ってみるとそこには絶世の美女が。その美女を妃に迎えたという。

 

柳の二本の枝におみくじを結ぶことで良縁があるという話だ。

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京の都の中心とされるへそ石。

桓武天皇の京都遷都のとき、六角堂が道路の中央にあたったため遷座を祈願したところ、5丈ほど北へ退いたという。

そのとき取り残されたのがへそ石である。

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他にも不動明王立像十六羅漢、一言願い地蔵、謎のフクロウ(ミミヅク?)などなど見どころがたくさん。

 

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最後に、隣のビルのエレベーターに乗ると六角堂を上から見ることができるのだが、本当にみごとな六角形である。

この六角には六根清浄の意味がある。

六根とはすなわち眼、耳、鼻、舌、身、意のことである。言い換えると五感と心だろうか。それによって生じるのが六欲。

その欲から脱して(煩悩を捨て去り)円満になることを願っているのである。

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拝観時間:6:00-17:00
拝観料:無料
最寄り駅:京都市営地下鉄 烏丸御池

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