(旧 たびかけ記事)

(京都|銀閣寺)「東山文化の原点 国宝東求堂」に行ってきた


今回は2017年春の特別公開「東山文化の原点 国宝東求堂」の話。

一般公開している部分に関してはこちらをどうぞ → (京都|銀閣寺)謎の多い銀閣寺とその庭


特別公開している本堂や東求堂からは、以前は庭の写真はとってよかったのだが、残念ながら今回から写真撮影が禁止になったそうで、あまり写真はない。

本堂で30分おきに受付が行われる。

各回定員20名。

ギリギリ最終の回に間に合った。

まずは本堂の案内から。

与謝蕪村の襖絵「飲中八仙図」や「棕櫚に叭々鳥図」、「山水人物図」などを見ながら解説してもらう。

これまた残念なことに今回の特別拝観からは本物でなく複製になったそうだ。

本物を出しているのも光や湿度、温度変化などで傷むのでしかたはないが。


「飲中八仙図」は読んで字のごとく、飲んでいる最中の八人の仙人の絵である。

中国、唐の詩人の杜甫が「飲中八仙歌」が主題なのだそうだ。

酔いつぶれて、おんぶされている仙人などが描かれており愉快な作品である。


「棕櫚に叭々鳥図」は複数の叭々鳥が描かれているようで、実は一匹の叭々鳥が飛んでいくさまを描いた作品。

なんとも動きのある優雅な絵である。


「山水人物図」は印象としては細かい描写の中、道行く人、舟に乗る人が描かれていて、中国の山水の世界に吸い込まれそうな絵だった。

蕪村が六十八歳で亡くなる前年に完成した晩年の大作なのだそうだ。


次に池大雅の襖絵「琴棋書画図」。

文人がたしなむべきものとして琴、棋、書、画を題材に描いた作品。

将棋をさしている人や絵を見ている人などが描かれており、どれが琴、棋、書、画を探す楽しみがある。


廊下を歩き東求堂へ向かう途中にあるのが銀閣寺形手水鉢。

平面も側面も四角く、側面の格子模様にそれぞれの面で変化がある。


いよいよ東求堂。

まず見られるのが足利義政がいたころからある阿弥陀如来立像。

そして等身大の義政公の像。

いわゆる仏間である。


池のほうを向けば白鶴島と座禅石の眺めが見事である。

どれが座禅石かわかりにくいと思うので、別角度からだが写真を一枚。

白鶴島を望む錦鏡池に背を向けいよいよ堂内へ。


書院造の原点にして、四畳半の原点、義政公の書院であった同仁斎。

当時のままの形で残っているというここが、本日のメインである。


違い棚と付書院があり、付書院には硯(すずり)、硯屏(けんびょう)、水差しなどが置かれている。

硯は文明16年(1484年)の義政公好みの硯であり、箱書きもあるそうだ。


また巻物もおかれていたが、「君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)」といい違い棚の飾りつけの仕方や付書院の物の配置などが書かれているという。


そして付書院の障子の先には霧島ツツジが美しく咲いている。

まさに一服の絵になる景色である。

ここも撮影不可のため別角度からの写真で、想像してみると綺麗そうだということだけでも。

また、違い棚や横の壁などにところどころ枝が描かれているのが見て取れたが、これは狩野派の始祖、狩野正信によるものである。

義政公は正信が無名のころから目にかけていたという。


同仁斎の同仁は韓愈の「原人」の「聖人一視而同仁」からのようだ。

「一視同仁」の四字熟語で考えると、すべてを平等に慈しみ区別なく接することという意味である。


東求堂をでたあとは最後に弄清亭の改築を記念して奥田元宗が描いた襖絵も見せてもらったが、豊かなで清らかな風景が襖一杯に描かれておりなかなかの見ごたえだった。

この襖絵は3年もの歳月を費やした元宗の傑作であり、後世に残っていくことだろう。


これにて特別公開は終わりとなるのだが、全体をとおして見ごたえある内容で堪能させてもらった。


だが何といっても東求堂が素晴らしい。

前知識なくいってしまえば、ただの古い和室だよと思ってしまうかもしれないが、それまでの寝殿造から書院造へ、茶室や現代の和室へと続く源流ともいえる場所である。

義政公の美への探求を感じさせる4畳半の広がりある空間だった。

●2017年春の特別公開「東山文化の原点 国宝東求堂」

期間:2017年 3/18(土) ~ 5/7(日)

時間:10:00 ~ 15:30(30分毎 各回5分前から受付)

料金:特別拝観料 1,000円(入山料は別途500円)

休み:なし

最寄り駅:出町柳(徒歩30分)

バス停:市バス 銀閣寺道(徒歩6分)

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